History of ZANTER

 

敗戦後疲弊した中で、日本の復興の為に必死に活動している公務員に役立つことは何か?と考え、交通の便も悪く、住むところもままならない現状で活躍してもらう為には、現場で休息できる環境が必要ではないか。そこで、公務員の休息の為に鶏の羽根で布団を生産、納入したのがザンター社(東洋羽毛)の始まり。

 

ザンター社は、東洋羽毛工業のウェアー部門として発足。登山用羽毛服、羽毛シュラフを日本山岳会マナスル登山隊と共同研究し、日本で初めて開発。

マナスルとはネパールの山で、ヒマラヤ山脈に属し、8,163m(世界8位)。エベレストより標高は低いが、雪崩が発生し易く、難易度が高い山です。

1956年5月9日に日本の登頂隊が初登頂に成功した。この成功は日本登山界に画期的な影響があり、空前絶後の登山ブームを巻き起こすなどの社会現象にまでなった。その時試験的に採用されていた、ビブラムソール、ナイロン製のクライミングロープなどはその後、急速に普及した。

当時のマナスル遠征隊が重要視していたのが保温材としての羽毛(ダウン)の品質と布地の品質です。羽毛は当時最高の保温力のあるものを使用して、生地は高所の登山に適した軽くて強く、撥水度のある合成繊維(ナイロンの傘地5番)を使用など、現在の商品づくりにも生かされています。

 

1956年のマナスル登頂成功が評価され、 チョゴリザ海外遠征隊、ヒマルチュリ海外遠征隊、日本モンゴル合同登山隊、三浦雄一郎エベレストスキー隊 日本山岳会エベレスト登頂隊、東大ネパール遠征隊等に羽毛服、寝袋を納入することになりました。

 

1973年、南極観測隊、各登山隊、官公庁以外の一般消費者向けに新製品として羽毛ガウンを見込み生産することになるが、全く売れず大量在庫を抱えてしまう。「ザンター」の先代社長が、独立し在庫を引き取ることになったのがザンターの始まり。このような保温性に優れた羽毛を、山登りの人だけに使っていたのでは勿体無いと考え、ルームウェアー、カジュアルウェアーへと方向転換していき、現在では、冬場のアウターとして認められるようになった。